ヨガの不思議な言葉
エアリアルヨガのスタジオに再度(1度目もそれほど長く頑張れたわけではないのです💦)通い出して1年になります。基本、身体を動かすことを面倒がる私でして、我ながら我なりにはよくやってるんじゃない、と声をかけてあげたいくらいです。おかげさまで、筋力とか体力の衰えをほんの少しは食い止められている気がします。 スタジオまでの三階分の螺旋階段も、今では息を切らさず上れるようになったくらいには。
これまた基本的に、理屈っぽい私ではありまして。再開当時の1年前は、インストラクターさんの指示語に、ついつい『どうやってやるんだろう!』と突っ込みたくなることもしばしばでした。
例えば『呼吸を通して』『今、伸びている背中に呼吸を通しましょう』
例えば『背骨をひとつずつ積み上げて』『マットに座骨を根付かせて』『骨盤を立てて』
まるで詩のような先生の言葉は、いったい技術的にどういうことを指すのだろう・・頭で考えようとしても謎は解けず。支持、誘導のWordにぎくしゃくする私が、こっそり隣のひとの優美な動きを盗み見ると、そのタイミングでというわけではないのかもしれないけれど、飛んでくるのは
『自分らしく』『ひとと較べず』『ジャッジしないで』
自分を抱きしめるようなアーサナのとき、或いは瞑想のためのナレーションがかかるとき、最初はどうにも気恥ずかしかったところのある私でした。だけど、月4回のレッスンをどうにか続けていくうちに、先生の不思議な指示語に、身体が、筋肉が緩んだり緊張したり、自然に反応していることを知ります。&元々リズム感なく運動センスに欠ける私ではあって、思うようにアーサナを決められなくとも、呼吸が恐らくみんなのリズムと合っていなくても、それを気にすることがなくなっていきます。今の自分の、ここの伸びが心地よいとか、ここが曲げにくい、とか、ああまさに『身体と対話する』ってイメージです!そして、自分に点数をつけないでいる自分に気づきます。
不思議Word第一の、未だに理解はおぼついてないかもですが、『呼吸を通す』についてなんとな~くイメージできたように感じます。ふわっとした、抽象的な感覚でも居心地は決して悪くない。
呼吸って、心と身体を繋いでくれるブリッジのような、そんな感じかな。 どっちかが疲れてても、 もう片方がサポートしてくれる、ふたつを繋いでくれるのが呼吸。 ——今日もまた、布の中でゆらゆら揺れながら、 深呼吸ひとつ。心も、すこしやわらかくなる、そんないい気分がします。
No War Please
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