母の部屋に
母の部屋のベッド側の壁が寂しかったので、長男が生まれるとき、手作りしたベビーキルトを押入れから引っ張り出して、飾りました。
私が弟と面会したときには、「李々佳が作ってくれたのよ」(本当は微妙に違うけれど・・・リサイクルなので)と、弟に「綺麗になったでしょ」と喜んでくれている様子でした。
数日後、姉に聞かされました。「“Aくん(弟)が作った”って言うんだけど・・・あんただよねえ?」
あはは。まあ、喜んでいる様子はわかったから、良かった。
私が弟と面会したときには、「李々佳が作ってくれたのよ」(本当は微妙に違うけれど・・・リサイクルなので)と、弟に「綺麗になったでしょ」と喜んでくれている様子でした。
数日後、姉に聞かされました。「“Aくん(弟)が作った”って言うんだけど・・・あんただよねえ?」
あはは。まあ、喜んでいる様子はわかったから、良かった。
これは、長男がお腹にいるとき(女の子が欲しかったので“真由ちゃん”と勝手に名前を決めて呼びかけながら・・・)、不器用で飽きっぽい私が、ひと針ひと針丹念に仕上げた、もう二度とできない大作です。
妊娠少し前に、専業主婦時代がありまして、暇をもてあまして「パッチワーク教室」なんていうところに通ってみました。そこで思い知ったのは、運針の、針の運びさえ間違っていたこと。
課題のピンクッションを頑張っていると夫がひと言。「お前の縫い方90度間違ってない?やりにくいだろう」
・・・・・・・・・・あ、確かに。
普通・・というか常識的に針を運ぶときは横に進むべきを、苦労しながら縦に縫っていたのです。
母は、というか実家の家業は子供服の縫製工場(機械的なものではありません)だったので、小学校の時には母が私の家庭科を引き受け、また、中学の時にはア○キさんという、出席番号が私の次で、とても頼りになる(まるで私の保護者的)友人が、家庭科の課題をかなり・・いやほとんど手伝ってくれました。実は家庭科の先生にもばれていて、私の名前をつけた彼女の作品だったといえます。
私の、針や糸を使って何か作りたいかも、という思いは、刺繍や編み物で消化されていて、縫製に関しては私の管轄外だったのです・・・・なんだ、それ。
でもとにかく、運針が横という新しい知識を得てお裁縫が楽しくなり、せっせと作りましたっけ。基本が不器用ですから、下手なんですけどね。
・・・というわけで、通常パッチワークが趣味、というなら、大きなキルトを目指したりするものですが、まあ私にはベビーキルトが精一杯で。それも単純な六芒星をモチーフにしたものにしました。
だけど、モチーフの柄と配色にかなり凝ったんですよ。
そのとき勤めていた事務所のお昼休みにのんびり刺しましたっけ。
生まれた長男は小さめで、しばらくおくるみとしても重宝しました。
これからは、母を楽しませるためにいてね。
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