小さい私
お義母さんから、夏野菜をいただきました。
この時期、こちらの近くの妹を訪ねる用事があるので、ウチにも寄ってくれたのです。
長男がバイト前にちょうど顔を合せられて、中国茶を振る舞っている間、
玉蜀黍を早速茹でようと、皮を剥き、湯を沸かし、
鍋に入れる前にまとわりついたひげを水で流すと、
今まで私に注目しないでいるように見えた義母が
「あら、玉蜀黍を洗う人、初めて見た」と言いました。
「いや、洗ったのでなくひげを流そうとして・・」
「ひげはむしるでしょう!」
「・・・ああ、まあそうですね」
何の気なしに流しただけ、『洗う』感覚ではありませんでした。
なんだか、義母の言い方が難癖のように受け止められました。
きっと、そんなつもりはなかったのでしょうけれども。
ああ、嫁と姑は永遠だわねえ と思いました。
離れて暮らしているのですから、互いの感覚や表現に慣れてもいないこともあって当然ですし、
離れて暮らしている子ども;若い私のほうが、譲ったり、相手をたてるべきでしょう。
それでも、なんとなく居心地悪い思いがしたのは、私の我儘さゆえです。
私もきっと、息子の未来のお嫁さんにデリカシーの欠けた表現もしてしまうでしょうに。
ああ、嫁と姑は永遠かもねえ。
今年は、霜や水不足で出来が悪いとの話でしたが、獲りたての玉蜀黍はとてもおいしかったです。
0コメント