ウインナコーヒー

自他共に認める食いしん坊で大食漢のはずです。好き嫌いはほとんどなく、食事の時間ではなくともちょっとおやつ、というのはしょっちゅうです。持病のために胃カメラを飲むことも多いのですが、あるときドクターが思わず「大きな胃だなあ」ともらしたこともある立派な(?)容量らしいです。

退院して1週間、問題の白血球の値も正常になり、腹水も吸収されました。食品制限もないのに、そしてお腹が空かないわけでもないのに、なにかを食べようという積極性に欠けます。イメージが湧かないのです。

子どもも小さくないので、三食決まった時間に食卓を囲むわけでもないことも影響するのでしょう、薬を飲むためになにか口に入れるか、という感じになっています。夕食も作りはするけれど、用意したりサービスしたりのうちに、私はなんだかお腹いっぱい、まあ味噌汁だけでいいか、というふうになってしまいます。

まあ万全ではないのかな、と、思ってはいたのですが、今日あるひとから「対食べ物への志向は対人間の志向と同じ」という話を聞いて、へえ、と腑に落ちました。食べ物の好き嫌いが多い人は人間の好き嫌いも顕著なのだそうです。私はいま、食べ物に興味が持てないのだから、ひととの関わりに興味津々でないということになるんですかね。

母を亡くした喪失感じゃないか、感情があふれ出さないように自分を守るための脳の働きでしょう、と言われました。思いっきり泣いてみたらすっきりするんじゃない? でも大丈夫、焦らずとも時間が癒してくれるよ とも。

食べるものも食べなくて仕事に支障が出たら大変、そもそも母だって私がいつまでもめそめそするのを望むはずもない。いつまでも泣けばそれはただの自己憐憫でしかない。母は向こうに行って幸せなはず。そして、母の肉体はないけれど存在が消えたわけではないですものね。私がいきいきしなければそのほうを母は悲しむ。母の生きた証でもある私が元気でいなければ。

生きることを、頑張ろう。元気だから頑張れるのではなくて、頑張るから元気になれるように。

クリームを泡立ててたっぷりのせて甘いコーヒーを淹れました。

李々佳・・縷々綿々

占い師:李々佳のあれこれ雑記・・・ どこへいくかわからない散漫な話ですが、目に留めていただけたら嬉しいです。 「リーディングケース」では今までの実占例をご覧になれます。

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